教育環境保全委員会

活動報告タイトル:第5回松原歴史ウォーキング 2009.3.15
 *西大塚~一津屋~小川 




     
大塚山古墳 大塚山古墳 長尾街道道標

今から1500年ほど前の6世紀後半につくられた天皇のお墓考えられます。前方後円墳という形で、全長330mもありに日本でも5番目の大きさです。

長尾街道道標
長尾街道は堺市をスタートし、松原市天美我堂-南新町-東新町-田井城-阿保-上田-西野々-一津屋を経て羽曳野に入り、奈良県に向かいます。7世紀頃にはつくられていたと思われ、日本でも最古の道のひとつです。

北山橘庵墓
江戸時代中頃、一津屋に北山橘庵という有名な医者でありながら、漢詩人としても名をはせた人がいました。西ヶ池の東岸、法泉寺の南側に北山家がありました。丹南藩・狭山藩・岸和田藩の殿様の病気も診察しました。漢詩人としても大阪の文化人と交わり、河内に文化を広めました。墓石には橘庵の功績を記した碑文がみられます。

     
北山橘庵墓 厳嶋神社 厳嶋神社

厳嶋神社 水を守る神様の弁財天を祀っています。境内は6世紀頃につくられた一津屋古墳の上にあります。本殿の北側から東にかけて古墳のぼりも一部残っています。このあたりは一面の森で、市内でもあまり人の手が入らない木々が茂っています。
標高が25mほどあり、東除川が東側を流れていましたので、戦国時代には三好氏の一津屋城として利用されました。敵が攻めてきたら鐘をついて人々に知らせたので、「鐘付山」ともよばれ、その額が今も神社に保存されています。

東除川取水堰
東除川にかかる一津屋橋のすぐ下流は、川の流れが段差になっており、ここには江戸時代に水の流れを調整する「関(セキ)」がありました。小川のトゼキ(戸関)とよばれ、ここで水の調整をして小川の三ツ池に水を貯め、田畑をうるおしました。

行基菩薩供養塔
一津屋橋の北側、東除川沿いに小川墓地があります。墓地の入口の無縁塔の正面に「行基大菩薩一千歳塚」「天平勝宝元年巳丑二月二日入滅」「延亨五戌辰二月二日」と刻まれ、行基を彫った石塔がみられます。行基は奈良時代の有名な僧で、奈良の東大寺大仏殿の建立に協力しました。



     
東除川取水堰 東除川取水堰 行基菩薩供養塔

三ツ池 池は堤や道路をはさんで3つに分かれた方形の形です。小川の田畑をうるおすため池ですが、この3つの池は、奈良時代の条里制という方形の田畑を江戸時代頃にそなまま池にしたものです。一区画の一辺の長さは約109mあります。三ツ池は奈良時代の田畑の区画をそのまま残す貴重な遺構ともいえます。



     
三ヶ池 三ヶ池 三ヶ池

大阪街道伊勢灯籠 大阪市の平野から大和川をこえて大堀や若林・小川を通り、藤井寺方面に抜ける大阪街道沿いに建てられた立派な灯籠です。明治2年(1869)9月につくられ、「太神宮」「常夜燈」と刻んでいます。太神宮とは三重県の伊勢神宮のことで、お伊勢参りをする旅人のため、今の電灯の役割を持って建てられたのです。伊勢灯籠は、松原市内ではここだけにしかなく、この道は遠く伊勢にまでつながっていたのです。



     
伊勢灯籠 不退寺・正定寺 不退寺・正定寺 阿弥陀如来像

不退寺・正定寺伊勢灯籠のすぐ西側にあるお寺です。不退寺は真宗大谷派(東本願寺)で江戸時代の中頃の元禄6年に建てられたと伝えています。本来は別々の本堂を持っていたと思われますが、今では1つの本堂を二分し、それぞれの本尊である阿弥陀如来像を左右に並べて祀る珍しいお寺です。

深居神社
応神天皇を祭神とします。今では小川だけの氏神さまですが、中世の14世紀頃までは大堀や若林の他、藤井寺市津堂や大阪市平野区川辺なども氏地とするなど、非常に由緒のある神社でした。本殿は江戸時代前半の万治3年(1660)のもので、松原市内で最も古い建物です。拝殿には江戸時代の古い絵馬もたくさんかけられています。境内は古墳ではないかともいわれ、土器なども出土しています。また、「歯がみさん」の石も残り、歯の神様の信仰も持っています。

     
深居神社 深居神社 歯がみさん

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